良過ぎは良くない。

明けましておめでとうございます。ハッピー2019年!!

お正月に唯一食べたお正月らしいものは餅だ。大好きなきな粉餅を作って食べたらあまりに美味しくてもう一つ。。。あともう一つ。。。と体内の「美味しい信号」が光ると限度が分からなくなり食べ過ぎてしまう。

ず〜〜〜〜〜っと昔6歳のお正月で料理上手なお母さんがおしるこを作ってくれたときのことを思い出した。おしるこの美味しさに感激し、母が注意するのを無視しておしるこを何杯もおかわりし。。。その後気分が悪くなり。。。全部戻してしまい、そのトラウマでその後何年もおしるこ嫌いで食べなくなってしまった。

なんでも「過ぎ」は良くない。

私の先生ポール・グリリーが良く “too much of a good thing is bad” と言う。「良い」とされていることでさえ「過ぎ」ると「良くない」。

きな粉餅の食べ過ぎはもちろん良くないけど、健康に食べ過ぎるということもありえる。「健康だから」と信じて自分の体の状態を無視して健康でいることにストレスを感じてしまう人も実は結構いる。実際 orthorexiaという症状名もある。

姿勢も同じく。「良い姿勢」だからと言っていつも背筋を伸ばしていると背中が硬くなったり背骨の柔軟性を失ってしまうかもしれない。良い姿勢も過ぎると良くない。

ヨガのポーズでいつも背骨をピンと伸ばそうとするだけでなく、だら〜んと陰ヨガ風に背骨を垂らすようなイメージでじわじわリラックスするのを是非オススメする。

人によって経験は様々だが、私はハードなヨガクラスを毎日のように受けて一生懸命常に背骨を長くするようにしていたときにぎっくり腰をした。今ももちろん背骨を強く、長くするプラクティスをしているがバランスよく逆に陰ヨガで背骨をだら〜んと力を抜く練習をするようにしてから一切腰痛にならなくなった。

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Too much of a good thing is bad.

だから今年はヨガ以外にも体を動かすことを楽しもうと思う。

今年もよろしくお願いします!

産まれたときからBFF

今日は私の唯一のsiblingであるお姉ちゃんの誕生日だ。

当たり前だけど私が産まれたときからお姉ちゃんは私の人生に存在していた。とても大きな存在だ。

私は子供のころあまりお父さんとお母さんと一緒に遊んだ記憶はない。常にお姉ちゃんと一緒に遊んでた。お姉ちゃんに学び、お姉ちゃんにいじめられた。たくさんいじめられた。

たっくさんたっくさん大喧嘩をした。

お姉ちゃんのことが大嫌いなときが多く、その大嫌いな感情を日記にいつも書いて幼いながらもこれが私のストレス解消だった。

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1984年8月1日の日記より。。。

私にとってとても近い存在であるお姉ちゃんであるからこそ、小さいときにお姉ちゃんに「イービーの鼻おおきい!」とか「なんでそんな洋服着てるの?変。」と言われると私の心にグサっ!グサっ!と刺さり、大人になってからそういうお姉ちゃんからのコメントが自分のlow self esteemに繋がっているのではないか、と気づいた。

私にとって大きな存在であるからこそお姉ちゃんの言動は私の性格や考え方に大きな影響を与えていた。

だけどある日お姉ちゃんに「昔よくお姉ちゃんは私の鼻はガッツ石松みたいだってよくいじめてたよね。」と言ったらお姉ちゃんはサラッと「そうだったっけ?」と言った。お、覚えていない?!!?!?

気づいたのは、同じ家族に育ったとは言え、似たような経験をしているとは言え、私には私がつくったストーリーがあり、お姉ちゃんにはお姉ちゃんがつくったストーリーがある。私もお姉ちゃんにひどいことを言ったりしたりして、きっとお姉ちゃんには私の知らない辛い痛いストーリーがたくさんあるんだ、と思った。

お姉ちゃんは素直に露わに愛情表現をするタイプではないんだけど、昔から私の一番の味方であり、BEST FRIENDであり、お姉ちゃん風の愛情表現をいつもいつもしてくれている。

私は今年で46歳。お姉ちゃんは今日で48歳。

This life time これからあと何年姉妹としての関係がつづくのか知らないけど、お互いのストーリーを素直にシェアし、サポートしあい、「大好きなお姉ちゃん」との関係をさらに深めていきたいなぁと思う。

Happy birthday sis. I ❤︎ you

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ハッピー交換

一昨日Trader Joe’sでお買い物をしに行き、お花セクションを通ると私の好きなカモミールのお花があった。「買おうかな〜」と手に取り、たかが$3.99だけど「やっぱり今月はたくさんお金を使いすぎたから節約しよう」と元に戻し、買い物をつづけた。

カゴに必要なものを入れてレジに並ぼうとするときにまたカモミールの花が見えて、「やっぱり買っちゃえ!」と手に取りレジに並んで順番を待っていた。

すると私の後ろにたった2品のものを手に持って並んだ女性がいたから “you can go in front of me”と私の前に並ぶように言ったら “that’s so nice of you”と喜んでくれた。

自分が『良いこと』をしたつもりでもその相手が必ずしも喜んでくれるというguaranteeは無い。もちろん喜んでくれたら嬉しいけど、もし喜んでもらえなかったとしても自分がそうしたほうが気持ちが良いからしているし、その良いことをしたことに対しての『ご褒美』が後々、もしくは来世でくるかもしれない。

でもやっぱりこうやって直接相手が嬉しそうにしてくれると気持ちが良い。

しかも!この女性は自分のものを払うときレジの人に “I’m gonna pay for her flowers because she let me go in front of her” と私が悩んで買うことにしたカモミールの花を払ってくれた!!

嬉しそうにしてくれただけでも私が嬉しかったのにお花を買ってくれるなんて最高に粋なことをする女性で私は1日ハッピー気分になった。

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クレイジーの小出し

数日前うちの近くにある大きな公園で犬の散歩をしていると、野球場の芝のど真ん中に小さな子供が仁王立ちして「きゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」と大口開けて大声で叫んでいた。それを見て私は「気持ちよさそうだなぁ」と思うと同時に、「子供はあぁいうことやってもなんとも思わないけど大人がやったらなんで頭がおかしい人かもって思われちゃうのかな」と疑問が頭に浮かんだ。

子供を育てている親は大変なんだろうけど子供のいない私は子供が叫んだり走り回ったりcrazyなことをしているのを見ると「自由でいいなぁ」と思うときがある。

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大人になればなるほど周りの目を気にし、crazyな部分を隠したり押し殺したりしなければいけなくなる。でもたまに「きゃ〜〜〜〜〜〜っ!!」と叫んでcrazyを小出ししないとcrazyがたまりすぎて嫌な意味でのcrazyになったり病気になってしまうような気がする。。。のは私だけ?

私はたまに車の中で狂ったように「きゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」と叫んだり、家で犬たちと狂ったように踊りまくったりしてcrazyの小出しをする。

自由に踊ったり、歌ったり、楽器を弾いたり、アートを描いたり作ったり、などもある意味良い意味でのcrazy小出しと思う。

良い意味でのcrazy小出し。。。しましょう、しませんか?

 

 

ビー・エル・ティー・エヌ

BLTN ~ Better Late Than Never

日本語に訳すと「遅れてでもやるほうがやらないより良い」というような意味かな。いろんなことに遅れる私はよく使う言い回し。

1ヶ月ほど前に両親が遊びに来てくれているときに勉強熱心なお母さんは、私が “better late than never”と言ったら「ん?なんて言ったの?あ〜そう言う言い方ね」とその後も何度か練習していた。たったの1週間の滞在中も熱心に中国語を勉強するお母さんのenthusiasmに私は感心させられる。

そんなお母さんと私の家のキッチンの片隅にあるスペースでお話をしているとお母さんのお母さん、つまり私のおばあちゃんの話になった。

おばあちゃんはちょうど私が大学受験の頃に68歳で亡くなった。

未だによく覚えているのは早朝私が2階にある自分の部屋で眠っていると、下のキッチンからお母さんが泣く声で私は目が覚めた。何故かそれを聞いた瞬間「おばあちゃんが亡くなってしまったんだ」と分かった。キッチンに行くとお母さんはおばあちゃんに持って行こうと思って大好きな五目ご飯を朝早くから起きて作っていた途中だった。

私もおばあちゃんが亡くなってもちろん悲しかったけど、18歳だった私は経験したことのないお母さんの悲しみを目撃してショックでどうすればいいのか分からなかった。その悲しみに突っ込んで行くのがなんか怖い感じがしたんだと思う。

だから今になって振り返ると全然お母さんのことをサポートしてあげなかったことに気づき、それを後悔している。

私が大好きなお母さんが亡くなったら想像しただけで全身が痛くなるから想像したくないのに、そんな経験をしたお母さんに対してあのとき何もサポートできなくてごめんね、と今回お母さんに伝えた。

するとお母さんは「今になってそうやって気づいたの?それだけでも嬉しい」と言ってくれた。

そしてお母さんも自分のお母さんが生きているときに「色々と大変だったね」と言ってあげて感謝の気持ちを伝えることができなかったことをすごく後悔している、と涙を浮かべながらシェアしてくれた。

そんな母の気持ちを聞いて私は「お母さんが今そう思っていることをおばあちゃんは絶対ゼッタイ分かっているし感謝しているし嬉しく思っているよ」と言った。そして本当にそう思う。

Better late than never.

その人が生きていようが亡くなっていようが後悔しているようなこと、今更言ってもしょうがないかな、と思っていることがあったら伝えると良い!と私は思う。

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おばあちゃん、母、姉との写真

変人じゃなきゃ変

父の駐在で家族全員アメリカに住んでいた頃両親は私たちを現地校に通わせ、毎週土曜日だけ日本語の補習校に行っていた。

通っていた現地校はその頃アジア人がほとんどいなかったんだけど、幼い私は「自分が日本人でみんなと違う」ということをそんなに深く意識した覚えは無かった。

それでもどこかで周りの子供達と少しでも「変わっている」という事実を避けたい気持ちがあり確かサンリオのキキララちゃんがついた自転車を乗っていたらバカにされ、それ以来その自転車は絶対乗らないようにしたり、お母さんが作った日本食お弁当なんて絶対ゼッタイ学校になんて持って行きたくなかった。

私だけ土曜日に日本人学校に行かなきゃいけないこともとにかくすっごくイヤで大大大嫌いだった。

それが12歳の夏に今度は日本に引っ越したらまた自分が周りの生徒と溶け込め無い「異人」な気分になり、それがイヤで一生懸命日本の文化に最初は溶け込もうとし、日本人の周りで英語を話したりするのをなるべく避けたりしていた。

何故か人間は「変わっている」というのを悪いことのように言ったり思ったりする。。。

幼いときはメガネをかけている、とか、髪型が変わっている、とか、太っている、とか少し「変わっている」という事実だけでいじめたりいじめられたりする。

大人になっても周りの人と違う意見を持っていたり、違う格好をしていたりすると「あの人変わっているよね」とコメントをする。私もそういうコメントをしたことが何度もある。

でも。。。

よく考えると変わってないほうが変なのでは???と思う。

こ〜〜〜〜〜〜〜んなにたくさんの人間がこの地球にいて一人として全く同じ顔、同じ指紋を持っている人がいないのに無理矢理同じ顔や同じ指紋にしようとしてるようなもの。

みんな「変人」なはずなのに目立た無いように「普通」にしようとするから自分らしさを押し殺すストレスが知ら無いうちに蓄積していたり、「自分は変人だ」と孤独な気分になる人が出てくると思う。

無理に「変人」になる必要はないけど、自分が生まれ持った自分らしを押し殺さず、むしろその自分らしさをどんどん引き出していく「変人さ」はゼッタイ必要と思う。

私も小学校の頃からそれに気づいていたらなぁ、と思うけどこの年になってもbetter late than never!よくOprahが言うように “When you know better, you do better.”

私はどんな「変人」なのかどんどん気づいていこうと思う❤︎

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今年9月ヨガリトリート!参加しましょう!

 

遠距離親友愛

この前大親友ヒロミが双子の息子を連れてわざわざ日本から遊びに来てくれた😊

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私が日本に行ったら必ず会ってるとはいえ、バリバリ仕事しながら子育てもして忙しいヒロミなので一緒にご飯を食べるかヒロミの家に1泊させてもらうくらいの短期間しか会えない。

だから今回みたいに数泊うちでゆっくりと時間を過ごし、初めてヒロミのかわいい息子たちとこんなにも密な時間を過ごし、子供達が寝たあとにヒロミと一緒にヨガったり語ったりする時間は本当に本当に本当に本当に貴重な時間だった。

大学に通い始めた1日目から大の仲良しになったヒロミ。。。

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そのときからバイト先が徒歩10秒の近さだったり、お互いの家にお泊まりしまくったり、彼氏の話で泣いたり笑って盛り上がったり、飲みに行ったり、旅行したり。。。と色々経験し、私がアメリカに引っ越してからもお互いまた別々に楽しいこと辛いことの人生経験をし、未だにこうやって親友でいる。

今回ヒロミと話していてヒロミが「いやぁ、でもYveeは昔に比べるとしっかりしたよね〜」と突然言った。私は未だに全然しっかりしていないと思っているから半分びっくり半分喜んで「え?どういう風に?」と聞くと「Yveeは昔は思いっきり時間にルーズだったし、勉強は一切しなかったし、パチンコやゲームばかりしてた」と言われた。

覚えていたとはいえヒロミにそう言われて「が〜〜〜〜ん」とショックだった。「そうだった。。。私ってそんなに適当な人だったんだ。。。」と。

「今はこうやってヨガの勉強したり、家の片付けなどして昔に比べて本当にしっかりしたよ」とヒロミに言われ、「そうだな、すんごく徐々にであるとはいえ確かに私は成長しているんだ!!!」と励みになったと同時にもっと成長したいというmotivationにもなった💪!!!

ヒロミは背が高くスラッとしていて「マダム!」と呼びたくなる素敵な女性らしい格好をしていて計画性バリバリで一生懸命頑張るタイプで私とは正反対。

そんなヒロミと私が大親友でいられる理由は気が合うってのはもちろんだけど、お互いがお互いに正直になんでも言い合うことができて、お互いがお互いにその正直に言われたことを素直に受け入れることができるからだと思う。

ズバリ本音を言って「なんでそんなこと言うの?!」と怒ったり、言ったことが伝わってないな。。。と感じることがない。

今回の滞在中もヒロミが帰る前夜に今の私にはとても必要なことを伝えてくれた。痛いところをついているからこそ私にはとても必要な言葉だったし、心に響いたし、励みになったし、何よりもヒロミの愛情をすごく感じた。

いわゆる「優しい言葉」ばかり言ったり、相手が傷つく言葉を避けたりするのではなく、正直な意見を言ってくれたり私本人では見えないことをpoint outしてくれる親友がいることに私は今回改めて感謝感激した。

楽しい時間を過ごしたあとは悲しい別れ。。。ロサンゼルス空港で泣き泣き😭別れたあとはもちろんさみしかったけど未だにヒロミたちと過ごした時間、そしてヒロミの言葉を励みに私は更にやる気を出して一人で生活していこうと決心させてもらえた。

💛 You ひろみ。

「中毒」から「集中」へ

ADDICTION(中毒)とFOCUS(集中力)って全然違うけど似てる?って思った。きっと中毒は止めたいと思っても止められないのが中毒なんだろうな。

わたくし実はとてもADDICTIVEな性格の持ち主であり、FOCUSが苦手。

幼いときからゲームが大好きで、大学生になってもゲーム好きは止まらずしょっちゅう徹夜でゲーム。「鉄拳」ニーナ・ウィリアムズの技は全て極めて誰にも負けない自信があった。

パチンコ中毒にもなり、学校に行かず開店から閉店までパチンコに集中。

テレビやYoutubeなども一回見だすと止まらなくなるし、お菓子なんか目の前にあるとハッと気づくといつの間にかクッキーが1箱空っぽになったりしている。。。

このようなものに「集中」すると止まらなくなる私が、やらなきゃいけない勉強とかとなると昔から「集中」がかなり難しい。

あっという間に気が散ってしまう。

私の大好きなPaul Grilleyのトレーニングに行き、30〜40分の瞑想中に「はい、一番上のチャクラからどんどん順番に数呼吸ずつ下のチャクラに移動していきましょう」と指示があり、自分で瞑想していると何度も「あれ?今どのチャクラだっけ?何呼吸したっけ?」と集中がいつの間にか途切れていて何度も一番上のチャクラに戻ってやり直しということが恐ろしく多い。。。そして自分の集中力の無さに落ち込むのだ。

少し前に Cal Newportの本『Deep Work』(邦題:『大事なことに集中する』)を読んだ。

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著者であるCalは若くしてコンピュータ・サイエンスの大学教授であり、いかに今の時代「集中力」が大切なスキルであるかを説明する。

彼は一度もFacebookなどのsocial mediaを使ったことがなく、E-mailアドレスも滅多に人に教えず、とにかく集中力の邪魔になることをなるべく避けている。

social mediaはスロット・マシーンのように中毒になり、現代人の集中力がどんどん小刻みになっていっている理由だと言う。

これを読んだときに私は「まずい〜〜!!!」と思った。なぜなら私は間違いなくこの「現代人」の一人だからだ。「それでなくても集中力が恐ろしく無い私がこれ以上集中力が減ったらどうなるんだ〜!」と。

しかし、ギターを練習すればどんどん上達するのと一緒で集中力も練習すれば深まるとのこと。。。

Cal曰く、薄く長く何かに「集中」するのではなく、太く短く「ディープに集中」を30分からでもいいから練習するといいとのこと。E-mail、電話、テレビはもちろん何でもdistraction(集中散漫)になるようなものを避け、ひたすら脳みそがディープに集中する練習するとのこと。

実際彼はこの方法で大学のときも成績がどんどんアップし、キャリアも成功し、忙しい仕事を持ちながらも5時以降仕事をしたことがほぼ無いと言う。

私はこの本を読んでから宣伝の為などには使っておきながら申し訳ないがFacebookをほとんどチェックしなくなった。Instagramは使っているが、せめてひとつだけでもdistractionを減らし、少〜しずつでも集中力をアップしたい!!!と思っている。

謙虚ぶっているわけでもなんでもなく、私は本当に集中力が無いと思う。実際このブログを書きながら何度distractされたことか。。。

パチンコやゲームやクッキーにあれだけ「集中」できるんだから、勉強や読書などに「集中」できるはず!と信じてこれから頑張ります💪!!! wish me luck….

 

ライフコーチ通い卒業

各週で3年通いつづけたライフコーチのセッションが8月で終了した。

ちょうど心の中で「そろそろ卒業してもいいかなぁ」と感じているときに私のライフコーチであるGageが引っ越しすることを伝えてきたのでタイミングがあまりにもピッタリでびっくした。

「卒業」のタイミングがピッタリだったのもそうだけど今となって考えればGageのライフコーチを受け始めたタイミングもピッタリだったなぁと思った。

3年前の私は外から見たらhappyに見えたかもしれなかったけど心の中はあまりhappyではなかった。なんか笑えるのは逆に外から見たら今の私のほうがunhappyに見えるかもしれない。

旦那と別れ、家族も近くにいなくて収入も少なく、もう少しで45歳というバリバリどっぷりおばさん/おばあさんの年齢。。。😅

Gageとの最後のライフコーチセッションで過去3年を振り返って気付いたのは、私が心底happyに感じるために必要なのはhonestyやauthenticity。。。いわゆる「正直でいること」「自然でいること」だった。

常にwork in progressなのでまだまだ正直になりたい部分はた〜くさんあるけれど、間違いなく3年前よりは心の中がスッキリしていて正直な人間になっていると思う。そしてその事実が今のhappinessにつながっている。

なぜ「そろそろライフコーチ卒業かな」と思った理由は、そしてなぜGageが素晴らしいライフコーチであるか気付いた理由は、セッションの度に私が自分の人生においてどういうことがつっかかっているのか、どういうところを変化していきたいのかを議題に出すとGageはいつも私の内にいるまた違う自分に導いてくれた。

つまり、常に答えは自分の内にあることに気づかせてくれて、どうやってその自分の内の自分にアクセスできるかを教えてくれた。

ときには今の私よりもずっとwiseな未来の自分からguidanceを求めたり、逆にguidanceがなく気持ちを閉ざしてしまっている子供であるlittle Yveeに優しく話してあげたり、と非常に貴重なツールを手に入れたような気がする。

外からのガイダンスも必要なときもある。でも自分の内にいるガイダンスは本当に貴重だと私は思う。それに気づかせてくれたGageには心の底から感謝している。
Gageのサイトはここをクリック

little yvee
ライフコーチのセッションで子供時代の自分に話すときに使った写真

優しくなくていい

ここ数日アメリカで話題になっているのは多くの映画をプロデュースしたHollywoodではすごい力を持っている男性。数多くのセクハラをしていたことが今になって明らかになり、どんどん女性が「私もセクハラされた」と暴露し始めている。

たまたま今はこの男性が話題になっているけれど、このような話題はトランプ大統領ふくめ最近数多い。

別にセクハラが最近になって多くなったわけではなく、今になって明らかになっている件がたくさんあるということ。

一般的に女性というのは男性よりも「弱い」と見られ、さらにはsexualな目で見られて嫌なことをされたり言われたりするのが残念ながらとても多い。

さらに残念なのは多くの場合女性がこのようなことをされても相手や会社などにそういう行為をやめてほしい!と言うことがなかなかでき無いということだ。

女性は「優しいのがすてきな女性だ」「大人しいのがかわいい」という一般的ルールみたいなのがあって、多少嫌なことをされても「文句を言ったらよくないかも」とか「NICEにしてないといけないんだ」と言いたいことを言えないケースが多いんだと思う。

さらにはそういうattentionを男性からもらうことがもしかして良いことなのではないか?と思う場合もあると思う。

私もそう思ったことはある。特に若くて自分に自信がなかったり、人生経験がなかったり、良いアドバイスをくれるような人がいないときはそう思っていた。

「セクハラ」とはまた違うかもしれないけど、若いころに付き合っていた男性によく私の服装や態度について文句を言われては「自分を変えなきゃ」と努力をしたり、他の男性と話したり会ったりすることについてやたら束縛したがることを「私のことが好きだからだ」と思ったりしていた。さらには口喧嘩したときには頬っぺたを叩かれたことがあった。

その程度で済んだからこんなことが言えるのかもしれないけど、今となってはあの経験をしてよかったなと思う。何故ならnow I know…. NEVER again. あのような行動をとるような男性はもちろんありえ無いというのもそうだけど、自分がそのような相手を受け入れるような人に二度となりたくないというのもある。

困っているような人を助けたりするような「優しい」人間でいたいし、もっとなりたい。

でも嫌な人と思われたくないから、好かれたいから、という理由で「優しい」人間には絶対なりたくない。

最近話題になっているこのような男性たちが少しずつでも減るように私たち女性もどんどん強くなっていきたい!と思う。

うなぎ
若い時代の私と親友のひろみ