クレイジーの小出し

数日前うちの近くにある大きな公園で犬の散歩をしていると、野球場の芝のど真ん中に小さな子供が仁王立ちして「きゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」と大口開けて大声で叫んでいた。それを見て私は「気持ちよさそうだなぁ」と思うと同時に、「子供はあぁいうことやってもなんとも思わないけど大人がやったらなんで頭がおかしい人かもって思われちゃうのかな」と疑問が頭に浮かんだ。

子供を育てている親は大変なんだろうけど子供のいない私は子供が叫んだり走り回ったりcrazyなことをしているのを見ると「自由でいいなぁ」と思うときがある。

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大人になればなるほど周りの目を気にし、crazyな部分を隠したり押し殺したりしなければいけなくなる。でもたまに「きゃ〜〜〜〜〜〜っ!!」と叫んでcrazyを小出ししないとcrazyがたまりすぎて嫌な意味でのcrazyになったり病気になってしまうような気がする。。。のは私だけ?

私はたまに車の中で狂ったように「きゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」と叫んだり、家で犬たちと狂ったように踊りまくったりしてcrazyの小出しをする。

自由に踊ったり、歌ったり、楽器を弾いたり、アートを描いたり作ったり、などもある意味良い意味でのcrazy小出しと思う。

良い意味でのcrazy小出し。。。しましょう、しませんか?

 

 

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ビー・エル・ティー・エヌ

BLTN ~ Better Late Than Never

日本語に訳すと「遅れてでもやるほうがやらないより良い」というような意味かな。いろんなことに遅れる私はよく使う言い回し。

1ヶ月ほど前に両親が遊びに来てくれているときに勉強熱心なお母さんは、私が “better late than never”と言ったら「ん?なんて言ったの?あ〜そう言う言い方ね」とその後も何度か練習していた。たったの1週間の滞在中も熱心に中国語を勉強するお母さんのenthusiasmに私は感心させられる。

そんなお母さんと私の家のキッチンの片隅にあるスペースでお話をしているとお母さんのお母さん、つまり私のおばあちゃんの話になった。

おばあちゃんはちょうど私が大学受験の頃に68歳で亡くなった。

未だによく覚えているのは早朝私が2階にある自分の部屋で眠っていると、下のキッチンからお母さんが泣く声で私は目が覚めた。何故かそれを聞いた瞬間「おばあちゃんが亡くなってしまったんだ」と分かった。キッチンに行くとお母さんはおばあちゃんに持って行こうと思って大好きな五目ご飯を朝早くから起きて作っていた途中だった。

私もおばあちゃんが亡くなってもちろん悲しかったけど、18歳だった私は経験したことのないお母さんの悲しみを目撃してショックでどうすればいいのか分からなかった。その悲しみに突っ込んで行くのがなんか怖い感じがしたんだと思う。

だから今になって振り返ると全然お母さんのことをサポートしてあげなかったことに気づき、それを後悔している。

私が大好きなお母さんが亡くなったら想像しただけで全身が痛くなるから想像したくないのに、そんな経験をしたお母さんに対してあのとき何もサポートできなくてごめんね、と今回お母さんに伝えた。

するとお母さんは「今になってそうやって気づいたの?それだけでも嬉しい」と言ってくれた。

そしてお母さんも自分のお母さんが生きているときに「色々と大変だったね」と言ってあげて感謝の気持ちを伝えることができなかったことをすごく後悔している、と涙を浮かべながらシェアしてくれた。

そんな母の気持ちを聞いて私は「お母さんが今そう思っていることをおばあちゃんは絶対ゼッタイ分かっているし感謝しているし嬉しく思っているよ」と言った。そして本当にそう思う。

Better late than never.

その人が生きていようが亡くなっていようが後悔しているようなこと、今更言ってもしょうがないかな、と思っていることがあったら伝えると良い!と私は思う。

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おばあちゃん、母、姉との写真

変人じゃなきゃ変

父の駐在で家族全員アメリカに住んでいた頃両親は私たちを現地校に通わせ、毎週土曜日だけ日本語の補習校に行っていた。

通っていた現地校はその頃アジア人がほとんどいなかったんだけど、幼い私は「自分が日本人でみんなと違う」ということをそんなに深く意識した覚えは無かった。

それでもどこかで周りの子供達と少しでも「変わっている」という事実を避けたい気持ちがあり確かサンリオのキキララちゃんがついた自転車を乗っていたらバカにされ、それ以来その自転車は絶対乗らないようにしたり、お母さんが作った日本食お弁当なんて絶対ゼッタイ学校になんて持って行きたくなかった。

私だけ土曜日に日本人学校に行かなきゃいけないこともとにかくすっごくイヤで大大大嫌いだった。

それが12歳の夏に今度は日本に引っ越したらまた自分が周りの生徒と溶け込め無い「異人」な気分になり、それがイヤで一生懸命日本の文化に最初は溶け込もうとし、日本人の周りで英語を話したりするのをなるべく避けたりしていた。

何故か人間は「変わっている」というのを悪いことのように言ったり思ったりする。。。

幼いときはメガネをかけている、とか、髪型が変わっている、とか、太っている、とか少し「変わっている」という事実だけでいじめたりいじめられたりする。

大人になっても周りの人と違う意見を持っていたり、違う格好をしていたりすると「あの人変わっているよね」とコメントをする。私もそういうコメントをしたことが何度もある。

でも。。。

よく考えると変わってないほうが変なのでは???と思う。

こ〜〜〜〜〜〜〜んなにたくさんの人間がこの地球にいて一人として全く同じ顔、同じ指紋を持っている人がいないのに無理矢理同じ顔や同じ指紋にしようとしてるようなもの。

みんな「変人」なはずなのに目立た無いように「普通」にしようとするから自分らしさを押し殺すストレスが知ら無いうちに蓄積していたり、「自分は変人だ」と孤独な気分になる人が出てくると思う。

無理に「変人」になる必要はないけど、自分が生まれ持った自分らしを押し殺さず、むしろその自分らしさをどんどん引き出していく「変人さ」はゼッタイ必要と思う。

私も小学校の頃からそれに気づいていたらなぁ、と思うけどこの年になってもbetter late than never!よくOprahが言うように “When you know better, you do better.”

私はどんな「変人」なのかどんどん気づいていこうと思う❤︎

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今年9月ヨガリトリート!参加しましょう!

 

遠距離親友愛

この前大親友ヒロミが双子の息子を連れてわざわざ日本から遊びに来てくれた😊

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私が日本に行ったら必ず会ってるとはいえ、バリバリ仕事しながら子育てもして忙しいヒロミなので一緒にご飯を食べるかヒロミの家に1泊させてもらうくらいの短期間しか会えない。

だから今回みたいに数泊うちでゆっくりと時間を過ごし、初めてヒロミのかわいい息子たちとこんなにも密な時間を過ごし、子供達が寝たあとにヒロミと一緒にヨガったり語ったりする時間は本当に本当に本当に本当に貴重な時間だった。

大学に通い始めた1日目から大の仲良しになったヒロミ。。。

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そのときからバイト先が徒歩10秒の近さだったり、お互いの家にお泊まりしまくったり、彼氏の話で泣いたり笑って盛り上がったり、飲みに行ったり、旅行したり。。。と色々経験し、私がアメリカに引っ越してからもお互いまた別々に楽しいこと辛いことの人生経験をし、未だにこうやって親友でいる。

今回ヒロミと話していてヒロミが「いやぁ、でもYveeは昔に比べるとしっかりしたよね〜」と突然言った。私は未だに全然しっかりしていないと思っているから半分びっくり半分喜んで「え?どういう風に?」と聞くと「Yveeは昔は思いっきり時間にルーズだったし、勉強は一切しなかったし、パチンコやゲームばかりしてた」と言われた。

覚えていたとはいえヒロミにそう言われて「が〜〜〜〜ん」とショックだった。「そうだった。。。私ってそんなに適当な人だったんだ。。。」と。

「今はこうやってヨガの勉強したり、家の片付けなどして昔に比べて本当にしっかりしたよ」とヒロミに言われ、「そうだな、すんごく徐々にであるとはいえ確かに私は成長しているんだ!!!」と励みになったと同時にもっと成長したいというmotivationにもなった💪!!!

ヒロミは背が高くスラッとしていて「マダム!」と呼びたくなる素敵な女性らしい格好をしていて計画性バリバリで一生懸命頑張るタイプで私とは正反対。

そんなヒロミと私が大親友でいられる理由は気が合うってのはもちろんだけど、お互いがお互いに正直になんでも言い合うことができて、お互いがお互いにその正直に言われたことを素直に受け入れることができるからだと思う。

ズバリ本音を言って「なんでそんなこと言うの?!」と怒ったり、言ったことが伝わってないな。。。と感じることがない。

今回の滞在中もヒロミが帰る前夜に今の私にはとても必要なことを伝えてくれた。痛いところをついているからこそ私にはとても必要な言葉だったし、心に響いたし、励みになったし、何よりもヒロミの愛情をすごく感じた。

いわゆる「優しい言葉」ばかり言ったり、相手が傷つく言葉を避けたりするのではなく、正直な意見を言ってくれたり私本人では見えないことをpoint outしてくれる親友がいることに私は今回改めて感謝感激した。

楽しい時間を過ごしたあとは悲しい別れ。。。ロサンゼルス空港で泣き泣き😭別れたあとはもちろんさみしかったけど未だにヒロミたちと過ごした時間、そしてヒロミの言葉を励みに私は更にやる気を出して一人で生活していこうと決心させてもらえた。

💛 You ひろみ。

「中毒」から「集中」へ

ADDICTION(中毒)とFOCUS(集中力)って全然違うけど似てる?って思った。きっと中毒は止めたいと思っても止められないのが中毒なんだろうな。

わたくし実はとてもADDICTIVEな性格の持ち主であり、FOCUSが苦手。

幼いときからゲームが大好きで、大学生になってもゲーム好きは止まらずしょっちゅう徹夜でゲーム。「鉄拳」ニーナ・ウィリアムズの技は全て極めて誰にも負けない自信があった。

パチンコ中毒にもなり、学校に行かず開店から閉店までパチンコに集中。

テレビやYoutubeなども一回見だすと止まらなくなるし、お菓子なんか目の前にあるとハッと気づくといつの間にかクッキーが1箱空っぽになったりしている。。。

このようなものに「集中」すると止まらなくなる私が、やらなきゃいけない勉強とかとなると昔から「集中」がかなり難しい。

あっという間に気が散ってしまう。

私の大好きなPaul Grilleyのトレーニングに行き、30〜40分の瞑想中に「はい、一番上のチャクラからどんどん順番に数呼吸ずつ下のチャクラに移動していきましょう」と指示があり、自分で瞑想していると何度も「あれ?今どのチャクラだっけ?何呼吸したっけ?」と集中がいつの間にか途切れていて何度も一番上のチャクラに戻ってやり直しということが恐ろしく多い。。。そして自分の集中力の無さに落ち込むのだ。

少し前に Cal Newportの本『Deep Work』(邦題:『大事なことに集中する』)を読んだ。

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著者であるCalは若くしてコンピュータ・サイエンスの大学教授であり、いかに今の時代「集中力」が大切なスキルであるかを説明する。

彼は一度もFacebookなどのsocial mediaを使ったことがなく、E-mailアドレスも滅多に人に教えず、とにかく集中力の邪魔になることをなるべく避けている。

social mediaはスロット・マシーンのように中毒になり、現代人の集中力がどんどん小刻みになっていっている理由だと言う。

これを読んだときに私は「まずい〜〜!!!」と思った。なぜなら私は間違いなくこの「現代人」の一人だからだ。「それでなくても集中力が恐ろしく無い私がこれ以上集中力が減ったらどうなるんだ〜!」と。

しかし、ギターを練習すればどんどん上達するのと一緒で集中力も練習すれば深まるとのこと。。。

Cal曰く、薄く長く何かに「集中」するのではなく、太く短く「ディープに集中」を30分からでもいいから練習するといいとのこと。E-mail、電話、テレビはもちろん何でもdistraction(集中散漫)になるようなものを避け、ひたすら脳みそがディープに集中する練習するとのこと。

実際彼はこの方法で大学のときも成績がどんどんアップし、キャリアも成功し、忙しい仕事を持ちながらも5時以降仕事をしたことがほぼ無いと言う。

私はこの本を読んでから宣伝の為などには使っておきながら申し訳ないがFacebookをほとんどチェックしなくなった。Instagramは使っているが、せめてひとつだけでもdistractionを減らし、少〜しずつでも集中力をアップしたい!!!と思っている。

謙虚ぶっているわけでもなんでもなく、私は本当に集中力が無いと思う。実際このブログを書きながら何度distractされたことか。。。

パチンコやゲームやクッキーにあれだけ「集中」できるんだから、勉強や読書などに「集中」できるはず!と信じてこれから頑張ります💪!!! wish me luck….

 

ライフコーチ通い卒業

各週で3年通いつづけたライフコーチのセッションが8月で終了した。

ちょうど心の中で「そろそろ卒業してもいいかなぁ」と感じているときに私のライフコーチであるGageが引っ越しすることを伝えてきたのでタイミングがあまりにもピッタリでびっくした。

「卒業」のタイミングがピッタリだったのもそうだけど今となって考えればGageのライフコーチを受け始めたタイミングもピッタリだったなぁと思った。

3年前の私は外から見たらhappyに見えたかもしれなかったけど心の中はあまりhappyではなかった。なんか笑えるのは逆に外から見たら今の私のほうがunhappyに見えるかもしれない。

旦那と別れ、家族も近くにいなくて収入も少なく、もう少しで45歳というバリバリどっぷりおばさん/おばあさんの年齢。。。😅

Gageとの最後のライフコーチセッションで過去3年を振り返って気付いたのは、私が心底happyに感じるために必要なのはhonestyやauthenticity。。。いわゆる「正直でいること」「自然でいること」だった。

常にwork in progressなのでまだまだ正直になりたい部分はた〜くさんあるけれど、間違いなく3年前よりは心の中がスッキリしていて正直な人間になっていると思う。そしてその事実が今のhappinessにつながっている。

なぜ「そろそろライフコーチ卒業かな」と思った理由は、そしてなぜGageが素晴らしいライフコーチであるか気付いた理由は、セッションの度に私が自分の人生においてどういうことがつっかかっているのか、どういうところを変化していきたいのかを議題に出すとGageはいつも私の内にいるまた違う自分に導いてくれた。

つまり、常に答えは自分の内にあることに気づかせてくれて、どうやってその自分の内の自分にアクセスできるかを教えてくれた。

ときには今の私よりもずっとwiseな未来の自分からguidanceを求めたり、逆にguidanceがなく気持ちを閉ざしてしまっている子供であるlittle Yveeに優しく話してあげたり、と非常に貴重なツールを手に入れたような気がする。

外からのガイダンスも必要なときもある。でも自分の内にいるガイダンスは本当に貴重だと私は思う。それに気づかせてくれたGageには心の底から感謝している。
Gageのサイトはここをクリック

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ライフコーチのセッションで子供時代の自分に話すときに使った写真

優しくなくていい

ここ数日アメリカで話題になっているのは多くの映画をプロデュースしたHollywoodではすごい力を持っている男性。数多くのセクハラをしていたことが今になって明らかになり、どんどん女性が「私もセクハラされた」と暴露し始めている。

たまたま今はこの男性が話題になっているけれど、このような話題はトランプ大統領ふくめ最近数多い。

別にセクハラが最近になって多くなったわけではなく、今になって明らかになっている件がたくさんあるということ。

一般的に女性というのは男性よりも「弱い」と見られ、さらにはsexualな目で見られて嫌なことをされたり言われたりするのが残念ながらとても多い。

さらに残念なのは多くの場合女性がこのようなことをされても相手や会社などにそういう行為をやめてほしい!と言うことがなかなかでき無いということだ。

女性は「優しいのがすてきな女性だ」「大人しいのがかわいい」という一般的ルールみたいなのがあって、多少嫌なことをされても「文句を言ったらよくないかも」とか「NICEにしてないといけないんだ」と言いたいことを言えないケースが多いんだと思う。

さらにはそういうattentionを男性からもらうことがもしかして良いことなのではないか?と思う場合もあると思う。

私もそう思ったことはある。特に若くて自分に自信がなかったり、人生経験がなかったり、良いアドバイスをくれるような人がいないときはそう思っていた。

「セクハラ」とはまた違うかもしれないけど、若いころに付き合っていた男性によく私の服装や態度について文句を言われては「自分を変えなきゃ」と努力をしたり、他の男性と話したり会ったりすることについてやたら束縛したがることを「私のことが好きだからだ」と思ったりしていた。さらには口喧嘩したときには頬っぺたを叩かれたことがあった。

その程度で済んだからこんなことが言えるのかもしれないけど、今となってはあの経験をしてよかったなと思う。何故ならnow I know…. NEVER again. あのような行動をとるような男性はもちろんありえ無いというのもそうだけど、自分がそのような相手を受け入れるような人に二度となりたくないというのもある。

困っているような人を助けたりするような「優しい」人間でいたいし、もっとなりたい。

でも嫌な人と思われたくないから、好かれたいから、という理由で「優しい」人間には絶対なりたくない。

最近話題になっているこのような男性たちが少しずつでも減るように私たち女性もどんどん強くなっていきたい!と思う。

うなぎ
若い時代の私と親友のひろみ

 

和気あいあいリトリートでした

先週末は友人と初のヨガリトリートを3泊で開催した。

ロサンゼルスから北に4時間ほど運転するSanta Margaritaという地にあるOak Creek Ranchという場所を借りたんだけど、大〜きな家にたくさん部屋があり、少しだけ離れた場所にプールとヨガスタジオがあり、見渡す限りな〜〜〜〜んにもない大自然に囲まれたところ。

従業員もいなく、1日に1回食事を頼んだシェフと雇ったマッサージセラピストが来ただけで、それ以外はずっと私たちヨガリトリート参加者のみだからなんか大きなSlumber Partyみたいな感じがした。

朝は友人ヨガティーチャーのStacieが2時間体を動かすYang Yogaを教え、夕方には私が2時間あまり動きのないリラックスの練習する陰ヨガを教えた。

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「ヨガリトリート」といっても色んな内容のものがあるけれど、私たちのリトリートでは近くのワイナリーがwine tastingを行いにきてくれたり、参加者の一人が編み物のプロだから編み物を教えてくれたり、ハイキングに行ったり、とゆっくりし、とにかくアットホームな感じのリトリートで自分で言うのもなんだけどすっごく楽しいヨガリトリートだった!!!

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ヨガ以外にリトリートの場所やご飯がリトリートの「成功」を多少左右するのかもしれないけど、今回私たちのヨガリトリートが「成功」したのはリトリートの参加者たちが大きな理由だと私は思った。

参加者全員がとてもeasy goingでgood energyな人たちで初めて会う人たちばかりなのに皆が和気あいあいと楽しんでいて私もその輪に入って思いっきり楽しんだ。

そしてもともとこのリトリートを「やらない?」と誘ってくれた友人のStacieがまたこのgood vibesな人たちを引き寄せた大きな原因だ。Stacie本人はすごくしっかりしているんだけどとてもeasy goingでヨガに関してはとても勉強熱心でpassionateな先生。とってもひょうきんで毒舌なときもあるんだけどハートが愛情でたくさんな素敵な女性。

リトリート参加者の多くは彼女の友人や生徒だったのでやっぱりStacieのような人に惹かれて出席するような人たちだからこんなに良い感じだったんだなぁ〜と帰ってきてからしみじみ思ったのだ。

幸いにも出席者の多くが「来年も出席したい〜!」と言ってくれているので早速計画を始めるところ。どう?来年は出席しませんか?

 

なんのためのルール?

この世の中いろんな RULES 「規則」がある。。。

この世の中、国、学校、団体、などでなるべく平和にまとまりを保つためにもちろんルールは必要なのは分かるのだが、たまに「なんのためのルール?」と疑問に思うことがある。そしてなんでもルールをそのまま飲み込まずに「なんのため?」と疑問に思うことは私は良いことだ、と思う。

むか〜しの話だが、中学・高校と日本で学校に通っているときダンス部に入ったとき先輩に「中学生はレッグウォーマーやベルトはしちゃいけない」というルールを聞いたとき私は心の中で “What?!?! Why?!?!”と全然意味が分からなかったのをよく覚えている。

んが、またこれ日本の学校に通い始めるまで知らなかったルールで「ひとつでも学年が上だと先輩だから話し方や対応を変えて言うことを聞かないといけない」というのを学び、言われた通りのルールを守った。

またよく覚えている思い出は、高校生のときに仲良し組4人と電車で学校に向かっている時に知り合いの男の子がいて話していたらたまたま同じ電車に学校の先生が乗っていて電車を降りたら「電車の中でうるさく話しすぎだ」と叱られた。

学校に着くと再度私たち4人が呼び出され「あの男の子は誰の友達だ?」と聞かれたり「明日から4人一緒に通学してはいけない」と全然意味の分からないルールを言われ、さすがに私はカーーーッと怒りがmaxに到達し、「なんでせっかく仲良い友達ができたのに一緒に通学すらできないんですか!!!」と泣きながら反抗したのをよく覚えている。そして校則という「ルール」をひたすら破りまくった反抗期が私の高校時代だった。

「ルール」があるとまとめやすい。でもなんのためのルールなのか?必要なルールなのか?を考える必要があると思う。

ヨガアーサナ(ヨガポーズ)を行うことにおいてもたくさん「ルール」がある。「人差し指が前を指すように手をマットに置く」とか「腕を肩から外旋するように」とか「膝は足首の真上に」などなど。。。

昔はこれらの「ルール」を守らないとまるで危険であるかのようにしっかりルールを守ってヨガをプラクティスしていた。んが、そんな私がまたルールを反抗するようになったのはPaul Grilleyに出会ってから。

Paulが一体これらのヨガアライメントの「ルール」はなんのためなのか?と疑問を持つように教えてくれた。そしてこれらの「ルール」を反抗して違う動き方をすると一体どういう体の感覚があるのか?「ルール」を守っているときと守っていないときの違いはなんなのか?実は「ルール」を守らずに動いてみると新しい発見があったり、自分や自分の体についてもっと学ぶことができたりすることに気づかせてくれた。

そしてルール反抗好き?な私はこういうプラクティスをするようにしてからのほうがヨガプラクティスが楽しくなった。

笑ったのは、この前久しぶりにアライメントに厳しい先生のクラスを受けに行ってVirabhadrasana II (戦士2のポーズ)を真面目に言われた通りにやっているつもりだったら、どうやら前の足が外旋しすぎていたみたいで先生に直され、”I rarely have to correct people to do less external rotation. You must be a rebel”と言われた。

やっぱり私は根っからREBELっ気があるみたい😁

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パッと決めた決断

8年ほど教えていたヨガクラスを最近やめた。

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昔このヨガワークススタジオのフロントデスクで「ただでヨガクラスを受ける」のが目的で働いていた頃に、「週に2回朝の6時15分スタートのクラスを教えないか?」と誘われたのを未だによく覚えている。

その頃は300時間のティーチャートレーニングを終えてからそんなに時間が経ってなく、既に違う場所でヨガを教えていたけど、ヨガワークスは大きくてきれいなヨガスタジオでたくさんの生徒が出入りするところだから緊張する気持ちがありながらもオッケーした。

教え始めたころはもちろんだけど、そのあとも数年は緊張したり、自分の教え方がうまくいかなくて落ち込んだりして、クラスが終わったあとはドッと疲れがでたり、教える前日は落ち着かない日々が多かった。

今になって考えるとその頃は自分のことで精一杯でクラスに来ている人たちをしっかり見ていなかったなぁ、と思う。

このクラスに来る人たちは仕事が始まる前に来る人や子供の世話を始める前の母親が多く、かなりレギュラーな人たちだから毎週のように会うのが楽しかった。

こんな長年教えつづけたクラスをやめるのは大きな決断なような気がするんだけど、何故か私は大きな決断をパッとintuitionで決めることが多い。。。そしてこのクラスを教えているときも常に “listen to your intuition”と教えていたので I have to practice what I preach.

このクラスの前日は夜のクラスを教えていて次の日早朝に起きるのはちょっと辛い、とか陰ヨガを教えるのにもっと集中したい、と考えるとそれなりに「理由」はあるのだが、何よりもの理由は「フィーリング」「直観」だった。

今までの人生でこのフィーリングを聞いて後悔したことはないので今回もハッと気づくてスタジオに「やめたい」という連絡をしていた。

毎週のようにクラスで会っていた人たちと会えなくなってしまったのは寂しいが、やっぱり「やめてよかった」という気持ちが大きい。これまた理由は分からないけどこのクラスをやめてspaceをつくったことによってまた違うopportunityが現れるような気がしている。

“The only thing constant in life is change”
「人生で唯一不変なのは変化が常に起きているということだ」