クレイジーの小出し

数日前うちの近くにある大きな公園で犬の散歩をしていると、野球場の芝のど真ん中に小さな子供が仁王立ちして「きゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」と大口開けて大声で叫んでいた。それを見て私は「気持ちよさそうだなぁ」と思うと同時に、「子供はあぁいうことやってもなんとも思わないけど大人がやったらなんで頭がおかしい人かもって思われちゃうのかな」と疑問が頭に浮かんだ。

子供を育てている親は大変なんだろうけど子供のいない私は子供が叫んだり走り回ったりcrazyなことをしているのを見ると「自由でいいなぁ」と思うときがある。

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大人になればなるほど周りの目を気にし、crazyな部分を隠したり押し殺したりしなければいけなくなる。でもたまに「きゃ〜〜〜〜〜〜っ!!」と叫んでcrazyを小出ししないとcrazyがたまりすぎて嫌な意味でのcrazyになったり病気になってしまうような気がする。。。のは私だけ?

私はたまに車の中で狂ったように「きゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」と叫んだり、家で犬たちと狂ったように踊りまくったりしてcrazyの小出しをする。

自由に踊ったり、歌ったり、楽器を弾いたり、アートを描いたり作ったり、などもある意味良い意味でのcrazy小出しと思う。

良い意味でのcrazy小出し。。。しましょう、しませんか?

 

 

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ビー・エル・ティー・エヌ

BLTN ~ Better Late Than Never

日本語に訳すと「遅れてでもやるほうがやらないより良い」というような意味かな。いろんなことに遅れる私はよく使う言い回し。

1ヶ月ほど前に両親が遊びに来てくれているときに勉強熱心なお母さんは、私が “better late than never”と言ったら「ん?なんて言ったの?あ〜そう言う言い方ね」とその後も何度か練習していた。たったの1週間の滞在中も熱心に中国語を勉強するお母さんのenthusiasmに私は感心させられる。

そんなお母さんと私の家のキッチンの片隅にあるスペースでお話をしているとお母さんのお母さん、つまり私のおばあちゃんの話になった。

おばあちゃんはちょうど私が大学受験の頃に68歳で亡くなった。

未だによく覚えているのは早朝私が2階にある自分の部屋で眠っていると、下のキッチンからお母さんが泣く声で私は目が覚めた。何故かそれを聞いた瞬間「おばあちゃんが亡くなってしまったんだ」と分かった。キッチンに行くとお母さんはおばあちゃんに持って行こうと思って大好きな五目ご飯を朝早くから起きて作っていた途中だった。

私もおばあちゃんが亡くなってもちろん悲しかったけど、18歳だった私は経験したことのないお母さんの悲しみを目撃してショックでどうすればいいのか分からなかった。その悲しみに突っ込んで行くのがなんか怖い感じがしたんだと思う。

だから今になって振り返ると全然お母さんのことをサポートしてあげなかったことに気づき、それを後悔している。

私が大好きなお母さんが亡くなったら想像しただけで全身が痛くなるから想像したくないのに、そんな経験をしたお母さんに対してあのとき何もサポートできなくてごめんね、と今回お母さんに伝えた。

するとお母さんは「今になってそうやって気づいたの?それだけでも嬉しい」と言ってくれた。

そしてお母さんも自分のお母さんが生きているときに「色々と大変だったね」と言ってあげて感謝の気持ちを伝えることができなかったことをすごく後悔している、と涙を浮かべながらシェアしてくれた。

そんな母の気持ちを聞いて私は「お母さんが今そう思っていることをおばあちゃんは絶対ゼッタイ分かっているし感謝しているし嬉しく思っているよ」と言った。そして本当にそう思う。

Better late than never.

その人が生きていようが亡くなっていようが後悔しているようなこと、今更言ってもしょうがないかな、と思っていることがあったら伝えると良い!と私は思う。

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おばあちゃん、母、姉との写真

変人じゃなきゃ変

父の駐在で家族全員アメリカに住んでいた頃両親は私たちを現地校に通わせ、毎週土曜日だけ日本語の補習校に行っていた。

通っていた現地校はその頃アジア人がほとんどいなかったんだけど、幼い私は「自分が日本人でみんなと違う」ということをそんなに深く意識した覚えは無かった。

それでもどこかで周りの子供達と少しでも「変わっている」という事実を避けたい気持ちがあり確かサンリオのキキララちゃんがついた自転車を乗っていたらバカにされ、それ以来その自転車は絶対乗らないようにしたり、お母さんが作った日本食お弁当なんて絶対ゼッタイ学校になんて持って行きたくなかった。

私だけ土曜日に日本人学校に行かなきゃいけないこともとにかくすっごくイヤで大大大嫌いだった。

それが12歳の夏に今度は日本に引っ越したらまた自分が周りの生徒と溶け込め無い「異人」な気分になり、それがイヤで一生懸命日本の文化に最初は溶け込もうとし、日本人の周りで英語を話したりするのをなるべく避けたりしていた。

何故か人間は「変わっている」というのを悪いことのように言ったり思ったりする。。。

幼いときはメガネをかけている、とか、髪型が変わっている、とか、太っている、とか少し「変わっている」という事実だけでいじめたりいじめられたりする。

大人になっても周りの人と違う意見を持っていたり、違う格好をしていたりすると「あの人変わっているよね」とコメントをする。私もそういうコメントをしたことが何度もある。

でも。。。

よく考えると変わってないほうが変なのでは???と思う。

こ〜〜〜〜〜〜〜んなにたくさんの人間がこの地球にいて一人として全く同じ顔、同じ指紋を持っている人がいないのに無理矢理同じ顔や同じ指紋にしようとしてるようなもの。

みんな「変人」なはずなのに目立た無いように「普通」にしようとするから自分らしさを押し殺すストレスが知ら無いうちに蓄積していたり、「自分は変人だ」と孤独な気分になる人が出てくると思う。

無理に「変人」になる必要はないけど、自分が生まれ持った自分らしを押し殺さず、むしろその自分らしさをどんどん引き出していく「変人さ」はゼッタイ必要と思う。

私も小学校の頃からそれに気づいていたらなぁ、と思うけどこの年になってもbetter late than never!よくOprahが言うように “When you know better, you do better.”

私はどんな「変人」なのかどんどん気づいていこうと思う❤︎

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今年9月ヨガリトリート!参加しましょう!

 

「中毒」から「集中」へ

ADDICTION(中毒)とFOCUS(集中力)って全然違うけど似てる?って思った。きっと中毒は止めたいと思っても止められないのが中毒なんだろうな。

わたくし実はとてもADDICTIVEな性格の持ち主であり、FOCUSが苦手。

幼いときからゲームが大好きで、大学生になってもゲーム好きは止まらずしょっちゅう徹夜でゲーム。「鉄拳」ニーナ・ウィリアムズの技は全て極めて誰にも負けない自信があった。

パチンコ中毒にもなり、学校に行かず開店から閉店までパチンコに集中。

テレビやYoutubeなども一回見だすと止まらなくなるし、お菓子なんか目の前にあるとハッと気づくといつの間にかクッキーが1箱空っぽになったりしている。。。

このようなものに「集中」すると止まらなくなる私が、やらなきゃいけない勉強とかとなると昔から「集中」がかなり難しい。

あっという間に気が散ってしまう。

私の大好きなPaul Grilleyのトレーニングに行き、30〜40分の瞑想中に「はい、一番上のチャクラからどんどん順番に数呼吸ずつ下のチャクラに移動していきましょう」と指示があり、自分で瞑想していると何度も「あれ?今どのチャクラだっけ?何呼吸したっけ?」と集中がいつの間にか途切れていて何度も一番上のチャクラに戻ってやり直しということが恐ろしく多い。。。そして自分の集中力の無さに落ち込むのだ。

少し前に Cal Newportの本『Deep Work』(邦題:『大事なことに集中する』)を読んだ。

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著者であるCalは若くしてコンピュータ・サイエンスの大学教授であり、いかに今の時代「集中力」が大切なスキルであるかを説明する。

彼は一度もFacebookなどのsocial mediaを使ったことがなく、E-mailアドレスも滅多に人に教えず、とにかく集中力の邪魔になることをなるべく避けている。

social mediaはスロット・マシーンのように中毒になり、現代人の集中力がどんどん小刻みになっていっている理由だと言う。

これを読んだときに私は「まずい〜〜!!!」と思った。なぜなら私は間違いなくこの「現代人」の一人だからだ。「それでなくても集中力が恐ろしく無い私がこれ以上集中力が減ったらどうなるんだ〜!」と。

しかし、ギターを練習すればどんどん上達するのと一緒で集中力も練習すれば深まるとのこと。。。

Cal曰く、薄く長く何かに「集中」するのではなく、太く短く「ディープに集中」を30分からでもいいから練習するといいとのこと。E-mail、電話、テレビはもちろん何でもdistraction(集中散漫)になるようなものを避け、ひたすら脳みそがディープに集中する練習するとのこと。

実際彼はこの方法で大学のときも成績がどんどんアップし、キャリアも成功し、忙しい仕事を持ちながらも5時以降仕事をしたことがほぼ無いと言う。

私はこの本を読んでから宣伝の為などには使っておきながら申し訳ないがFacebookをほとんどチェックしなくなった。Instagramは使っているが、せめてひとつだけでもdistractionを減らし、少〜しずつでも集中力をアップしたい!!!と思っている。

謙虚ぶっているわけでもなんでもなく、私は本当に集中力が無いと思う。実際このブログを書きながら何度distractされたことか。。。

パチンコやゲームやクッキーにあれだけ「集中」できるんだから、勉強や読書などに「集中」できるはず!と信じてこれから頑張ります💪!!! wish me luck….

 

ライフコーチ通い卒業

各週で3年通いつづけたライフコーチのセッションが8月で終了した。

ちょうど心の中で「そろそろ卒業してもいいかなぁ」と感じているときに私のライフコーチであるGageが引っ越しすることを伝えてきたのでタイミングがあまりにもピッタリでびっくした。

「卒業」のタイミングがピッタリだったのもそうだけど今となって考えればGageのライフコーチを受け始めたタイミングもピッタリだったなぁと思った。

3年前の私は外から見たらhappyに見えたかもしれなかったけど心の中はあまりhappyではなかった。なんか笑えるのは逆に外から見たら今の私のほうがunhappyに見えるかもしれない。

旦那と別れ、家族も近くにいなくて収入も少なく、もう少しで45歳というバリバリどっぷりおばさん/おばあさんの年齢。。。😅

Gageとの最後のライフコーチセッションで過去3年を振り返って気付いたのは、私が心底happyに感じるために必要なのはhonestyやauthenticity。。。いわゆる「正直でいること」「自然でいること」だった。

常にwork in progressなのでまだまだ正直になりたい部分はた〜くさんあるけれど、間違いなく3年前よりは心の中がスッキリしていて正直な人間になっていると思う。そしてその事実が今のhappinessにつながっている。

なぜ「そろそろライフコーチ卒業かな」と思った理由は、そしてなぜGageが素晴らしいライフコーチであるか気付いた理由は、セッションの度に私が自分の人生においてどういうことがつっかかっているのか、どういうところを変化していきたいのかを議題に出すとGageはいつも私の内にいるまた違う自分に導いてくれた。

つまり、常に答えは自分の内にあることに気づかせてくれて、どうやってその自分の内の自分にアクセスできるかを教えてくれた。

ときには今の私よりもずっとwiseな未来の自分からguidanceを求めたり、逆にguidanceがなく気持ちを閉ざしてしまっている子供であるlittle Yveeに優しく話してあげたり、と非常に貴重なツールを手に入れたような気がする。

外からのガイダンスも必要なときもある。でも自分の内にいるガイダンスは本当に貴重だと私は思う。それに気づかせてくれたGageには心の底から感謝している。
Gageのサイトはここをクリック

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ライフコーチのセッションで子供時代の自分に話すときに使った写真

優しくなくていい

ここ数日アメリカで話題になっているのは多くの映画をプロデュースしたHollywoodではすごい力を持っている男性。数多くのセクハラをしていたことが今になって明らかになり、どんどん女性が「私もセクハラされた」と暴露し始めている。

たまたま今はこの男性が話題になっているけれど、このような話題はトランプ大統領ふくめ最近数多い。

別にセクハラが最近になって多くなったわけではなく、今になって明らかになっている件がたくさんあるということ。

一般的に女性というのは男性よりも「弱い」と見られ、さらにはsexualな目で見られて嫌なことをされたり言われたりするのが残念ながらとても多い。

さらに残念なのは多くの場合女性がこのようなことをされても相手や会社などにそういう行為をやめてほしい!と言うことがなかなかでき無いということだ。

女性は「優しいのがすてきな女性だ」「大人しいのがかわいい」という一般的ルールみたいなのがあって、多少嫌なことをされても「文句を言ったらよくないかも」とか「NICEにしてないといけないんだ」と言いたいことを言えないケースが多いんだと思う。

さらにはそういうattentionを男性からもらうことがもしかして良いことなのではないか?と思う場合もあると思う。

私もそう思ったことはある。特に若くて自分に自信がなかったり、人生経験がなかったり、良いアドバイスをくれるような人がいないときはそう思っていた。

「セクハラ」とはまた違うかもしれないけど、若いころに付き合っていた男性によく私の服装や態度について文句を言われては「自分を変えなきゃ」と努力をしたり、他の男性と話したり会ったりすることについてやたら束縛したがることを「私のことが好きだからだ」と思ったりしていた。さらには口喧嘩したときには頬っぺたを叩かれたことがあった。

その程度で済んだからこんなことが言えるのかもしれないけど、今となってはあの経験をしてよかったなと思う。何故ならnow I know…. NEVER again. あのような行動をとるような男性はもちろんありえ無いというのもそうだけど、自分がそのような相手を受け入れるような人に二度となりたくないというのもある。

困っているような人を助けたりするような「優しい」人間でいたいし、もっとなりたい。

でも嫌な人と思われたくないから、好かれたいから、という理由で「優しい」人間には絶対なりたくない。

最近話題になっているこのような男性たちが少しずつでも減るように私たち女性もどんどん強くなっていきたい!と思う。

うなぎ
若い時代の私と親友のひろみ

 

Limited time

One thing about being a dog sitter and not a dog owner… is that I know it is temporary. I take care of some dogs for a few days and some times a few weeks.

I fall in love with a lot of these dogs I take care of and some of them I see them many more times and some of them I won’t see them for a whole year or maybe never.

When I know the time I have with these dogs is temporary it makes me cherish the time I have with them. I want to pet them more, walk them a little longer, cuddle them tighter, or just stare at them and admire their cuteness.

Last week a dog I took care of for three weeks went back to his family. He was a handful but you can’t help but love this big labrador retriever that loves to be loved. Every time I would pay attention to him and pet him and scratch him he will shake his big butt and swing his thick tail and slap me with it.

When the owner came to pick him up she said “Oh, now he is going to be bored at home because we all tend to ignore him.”

This made me notice how I was soaking up his beauty because I knew I only had a short time with him.

But when you think about it, we have a short time with every thing and every body and a short time on this planet in this life time.

Everything is temporary.

It was a good reminder for me to cherish the things, beings, and the moments that I take for granted.

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他人の靴を履く練習

マッサージ学校に通ったときにすごく印象に残ったexerciseがある。2人のパートナーになり、一人が普通に歩いているのをパートナーの人がすぐ後ろをついて歩き、前を歩いている人と全く同じ歩き方を真似する。その人の姿勢、歩幅、ペース、全てを真似し、自分がどういう気分になるか観察する。

お互いにこのexerciseしたあとに、パートナーの歩き方を真似してどういう気分になったか、なにをobserveしたかを発表する。これは決して「相手がこういう人だ」と決め付けているわけではなくてあくまでも「自分がこういう気分になった」ということで発表するのが大切なのだ。

「元気が出た」とか「気分が落ちた」とか「自信を持っている感じがした」などなど。。。

英語で “Before you judge a man, walk a mile in someone else’s shoes”という表現がある。それは「人を自分の観点から決めつける前に相手の立場になって考えてみよう」という意味。

私はマッサージスクールでこのexerciseをしたときになんかすごく感動した。たったの数歩だけど前を歩いているパートナーの歩き方を真似すると当たり前のことなんだけど「あぁ、この人にはこの人独特の過去や人生があり、こういう歩き方になってるんだぁ」と感慨深いものがあった。

ヨガを教えているときも実際同じようにヨガポーズをするわけじゃないけど、「あの人の体にするっと入って同じようにヨガポーズをしたらどんな感じなんだろう?」と頭の中で疑問に思ったり想像することが多々ある。

もちろん完全に相手の立場になることなんてできない。でも想像をするだけでもcompassionateな気持ちになる。

人間それぞれ色んな育ち方、環境、生まれ持った独特の個性があって今に至っている。

これをマッサージスクールやヨガクラスだけじゃなくて日常生活でもpracticeできるようにしていきたい、と思う。

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私の場合ShoesじゃなくてSlippersでした

 

ミニマリズムに影響されて

Netflixで「ミニマリズム」というドキュメンタリーを見た。

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大企業で働いてたくさんお金を稼ぎ、良いモノをたくさん集め、いわゆる世間一般で言う「成功」をしたのに「幸せ」を感じることができなかった JoshuaとRyanという男性2人を中心に「本当に大切なモノは何か」を考えさせらえるドキュメンタリー。

彼ら2人は高収入の仕事を辞め、「ミニマリズム」をpromoteするために小さなバッグひとつに持ち物を入れて全国をツアーする。

どんどんモノが増え、モノに埋もれている今の時代、実際私たちはもっとハッピーになっているのか?モノを買うために、良いライフスタイルをするために本当に大切な経験やコネクションを失ってしまっているのじゃないか?という問いかけをし、考えさせらる。

この2人が全国ツアーをしているときに数名しか彼らのトークを聞きに来てくれなかったとしてもpassionを持って話し、参加者をhugし、正直な笑顔を見せる彼らがとっても素敵に見えた。

モノだけじゃなくて「過度の刺激」が多い今の世の中では “less is more”が必要なプラクティスであり、私はこのドキュメンタリーを見て「陰ヨガは体のミニマリズム」だな、と思った。

ヨガASANAをプラクティスしているときも「過度の刺激」を求めることがある。強いストレッッチの感覚を求めたり、だらだら汗をかくことを求めたり、音楽がないと物足りなかったり。

陰ヨガでは脱力することによってストレッチするから多くの場合筋力を使ったときのような「強い刺激」ではないことが多い。不思議と脱力すればするほどストレッチの刺激感覚が強くなることはあるけれども、逆に脱力すればするほど刺激感覚が弱くなっていくような感覚があるときもある。

ミニマリズムで余計なものを減らしていくのと一緒で陰ヨガでは余計な力を少しずつ減らしていく。だから私はこのドキュメンタリーを見て「陰ヨガは体のミニマリズムだ!」と更に共感した。

今月私はミニマリズムチャレンジを姉と一緒にしている。それは今月毎日ものをどんどん減らしていくこと。6月1日だったら1個、6日だったら6個、今日は12日だから12個、最後の30日は30個、とどんどん減らすものが増えていくのだ。

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12日に減らした12個のモノ

ちょっと前にコンマリに影響されて大分ものを減らしたから「これ以上減らすモノなんてない!」と思ったけど意外とあるものだ。。。

まだ12日目だけど気付いたのは「ギフト」について。人からモノをもらったり、モノをあげたり。本当にその人が必要なものならあげたいけど結局ゴミになったり、「捨てたら悪いな」と思って家の中のごちゃごちゃのひとつになるようなモノだったらあげたりするのは止めたいと思う。

その人が使うならソープやキャンドルなどの消耗品だったり食べるものがいいいのでは?あとはこのミニマリズムのブログに書いてあった通り (ミニマリストブログ)モノの代わりにexperiences (経験)をギフトするのはどうだろうか?コンサートやミュージカルのチケットだったり、一緒にご飯を食べに行ったり、美術館に行ったり、携帯を一切見ずに語る時間を持ったり、などなど。。。

私はこれからは人にマッサージをギフトするようにしようかなぁと思う。いかが?

裸の人からシャツを借りないように

この前お母さんがうちに遊びに来たときに「一人でこの家は大きいよね。寂しくないの?」と聞かれたとき即座に「全然寂しくないよ」と答えた。

んが、「寂しいときはたくさんあるけど寂しくない練習をしてきて今となっては一人の時間を大分楽しむようになった」というのが正直な答え。

夫も子供もいなくて家に一人だと本当に「自分のため」にご飯を作ったり家を掃除したりする。

YOGA ASANAのプラテクィスも一緒でクラスで先生の指導のもとではなくて家で一人でプラクティスすると本当に「自分のため」のプラクティスになる。

一人の時間が多いと自分の頭の中の「独り言」もすごく気づく。そして自分に対するnegativeな言葉に気づくと変えるようにしている。

「私って一人で寂しい人だ〜」って思う自分の頭の中の声に気付いたら「やった、一人だから自分のために自分が食べたい美味しいもの作って食べよう!」という声に変えたり、ゆっくり自分の体の声を聞くintentionでYOGA ASANAプラクティスをしたり、瞑想をする時間を持ったりすると自分への愛情を注いでいるような感じがする。

人と話しているときも「私バカだから」とか「どうしようもないから」みたいな言い方も言わないようにするだけでも全然違う。

こんな風に自分に愛情を注いだのは生まれて初めてなような気がする。

この前本を読んでいるときにこのQUOTEが紹介されていてすごく印象に残っている。

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「裸の人がシャツを貸してくれようとしたときは注意しろ」
自分のことも愛せない人は他の人を愛することができないから気をつけろ、といような意味。

今になって考えれば前は自分に愛情を与えてない分もヒロに愛情を求めていたし、まさに「裸の自分がヒロにシャツを渡そうとしてた」んだなぁ〜と気付かされた。

最近よく周りの人に「新しく彼氏とかつくらないの?」と聞かれるんだけど今は自分が自分の恋人なのだ!あとは犬が最高の恋人!あとはもちろん家族と友達がいれば I AM HAPPY 😆

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