なんのためのルール?

この世の中いろんな RULES 「規則」がある。。。

この世の中、国、学校、団体、などでなるべく平和にまとまりを保つためにもちろんルールは必要なのは分かるのだが、たまに「なんのためのルール?」と疑問に思うことがある。そしてなんでもルールをそのまま飲み込まずに「なんのため?」と疑問に思うことは私は良いことだ、と思う。

むか〜しの話だが、中学・高校と日本で学校に通っているときダンス部に入ったとき先輩に「中学生はレッグウォーマーやベルトはしちゃいけない」というルールを聞いたとき私は心の中で “What?!?! Why?!?!”と全然意味が分からなかったのをよく覚えている。

んが、またこれ日本の学校に通い始めるまで知らなかったルールで「ひとつでも学年が上だと先輩だから話し方や対応を変えて言うことを聞かないといけない」というのを学び、言われた通りのルールを守った。

またよく覚えている思い出は、高校生のときに仲良し組4人と電車で学校に向かっている時に知り合いの男の子がいて話していたらたまたま同じ電車に学校の先生が乗っていて電車を降りたら「電車の中でうるさく話しすぎだ」と叱られた。

学校に着くと再度私たち4人が呼び出され「あの男の子は誰の友達だ?」と聞かれたり「明日から4人一緒に通学してはいけない」と全然意味の分からないルールを言われ、さすがに私はカーーーッと怒りがmaxに到達し、「なんでせっかく仲良い友達ができたのに一緒に通学すらできないんですか!!!」と泣きながら反抗したのをよく覚えている。そして校則という「ルール」をひたすら破りまくった反抗期が私の高校時代だった。

「ルール」があるとまとめやすい。でもなんのためのルールなのか?必要なルールなのか?を考える必要があると思う。

ヨガアーサナ(ヨガポーズ)を行うことにおいてもたくさん「ルール」がある。「人差し指が前を指すように手をマットに置く」とか「腕を肩から外旋するように」とか「膝は足首の真上に」などなど。。。

昔はこれらの「ルール」を守らないとまるで危険であるかのようにしっかりルールを守ってヨガをプラクティスしていた。んが、そんな私がまたルールを反抗するようになったのはPaul Grilleyに出会ってから。

Paulが一体これらのヨガアライメントの「ルール」はなんのためなのか?と疑問を持つように教えてくれた。そしてこれらの「ルール」を反抗して違う動き方をすると一体どういう体の感覚があるのか?「ルール」を守っているときと守っていないときの違いはなんなのか?実は「ルール」を守らずに動いてみると新しい発見があったり、自分や自分の体についてもっと学ぶことができたりすることに気づかせてくれた。

そしてルール反抗好き?な私はこういうプラクティスをするようにしてからのほうがヨガプラクティスが楽しくなった。

笑ったのは、この前久しぶりにアライメントに厳しい先生のクラスを受けに行ってVirabhadrasana II (戦士2のポーズ)を真面目に言われた通りにやっているつもりだったら、どうやら前の足が外旋しすぎていたみたいで先生に直され、”I rarely have to correct people to do less external rotation. You must be a rebel”と言われた。

やっぱり私は根っからREBELっ気があるみたい😁

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勝手にブッククラブ開始

本って素晴らしい。私はデジタルやオーディオより実際本を手に取って読むのが大好き。私の脳みそは情報をプロセスするのに時間がかかるから文章を読んでは「ん?どう意味だ?」ともう一回読んだり、深い文章を読んだあとは脳みそに染み込ませる時間が必要で、感動したり覚えておきたい文章をハイライトするのも大好き。

美味しかったレストランを人にオススメしたくなるのと一緒で、感動した本は人に紹介したくなる。だから勝手に一人ブッククラブをここで始めることにした。

一冊目は私の大好きなヨガ本であり何度も読み返して全ページhighlightしてあるくらいの

ドナ・ファーリ
“Bringing Yoga to Life ~ The everyday practice of Enlightened Living” 

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ヨガのモチベーションが落ちたときにインスピレーションをもらう為に私が読む本。

3つのパートに別れていてパート1は”Coming Home”という題材。直訳すると「家に帰る」って意味だけどここでの「帰る場所」は「自分」もしくは「自分の体」。

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Donnaは最初のチャプター”We Begin Here”で何故ヨガをプラクティスするのか、を説明して「ヨガをプラクィスしたい!!」という気持ちに(私を)させてくれる。(以下にいくつか私の勝手な意訳でリストします)

どんな過去があろうとどんな自滅的行動をしている、もしくはしたことがある人でも日々のヨガプラクティスで自分が生まれ持った「良さ」に気づき、周りの存在の「良さ」にも気づくことができる。そして真の自分がどういう人なのか再認識することによって周りの存在との真のコネクション(つながり)を経験することができる。このコネクション(つながり)こそがヨガの中心(全て)なのだ。

No matter who we are of how long we have been entrenched in self-defeating behaviors, through daily Yoga practice we can become present to our own fundamental goodness and the goodness of others. Rediscovering who we really are at our core opens the way to experiencing our most basic level of connection with others. This connectedness lies at the heart of the practice called Yoga.

ヨガを真剣に、入念に、持続してプラクティスすれば誰でも落ち着きを持ち、ハッピーそして自由な気持ちになることができる。

What Yoga does promise is that through sincere, skillful, and consistent practice, anyone can become peaceful, happy, and free.

自分の考え方や行動に制限されてしまっているような人はヨガのプラクティスによって解放されることができる。

Anyone who has the intention to break through self-limiting and self-immobilizing thoughts and behaviors can and will find freedom through this practice.

人生に対して楽な気持ちを覚え始め、あらゆる変化に対しての柔軟性を持ち始める。新なるバイタリティーと鮮明さを経験し、それが家庭、仕事、そして世での関係に影響を持ち始める。

You start to feel a sense of ease with life, and you feel more able to adapt to change. You experience a new vitality and clarity that affect your relationship at home, at work, and in the world.

ヨガの動きやポーズをプラクテイスすることによって体に蓄積したストレスや緊張感を解放し、体の感覚が研ぎ澄まされ、体が敏感であると共に強くあり、変化に対応できるようになる。同時に私たちが生まれ持った呼吸のリズムと体の能力の関係を再認識する。

Through the practice of postures we release pent-up tensions that have accumulated in our body, and we further refine our physical senses so that we become sensitive, adaptive, and resilient. Simultaneously, we reacquaint ourselves with the cyclic nature of our breath and its relationship to the sensate wisdom of our body.

私が同感、感動した箇所を紹介したら長〜〜〜〜くなってしまうのでこれくらいにしておく。でもこれを読んで少しでもヨガのプラクティスへのモチベーションがアップすればいいなぁと思う。

この最初の章でDonnaが伝えようとしているのはヨガは「誰でも」プラクティスできるものであり、プラクティスする理由は決して目に見えるようなものを手に入れるためではないということ。

ヨガをプラクティスすると人生が突然ハッピーなことばかりになるわけではなく、上下する波を乗るサーファーのように人生の盛衰を逆らわないようになるということ。
“like a surfer out on the ocean swell, we start to align ourselves with the ebb and flow of  life rather than fight with it.”

そして体の動き、呼吸の行き来、人生の盛衰の背景には常に静寂があり、それにコネクトすることがヨガの経験なのだ。
“Gradually we begin to recognize that in between the ups and downs and the coming and going, there is a matrix of stillness that is the backdrop of all phenomena.

最後に、Donnaはこの本はヨガを通して超人的な技を得る方法などではなくて、日常生活で活用できることを紹介していき、ヨガを通して親切心と思いやりを持って生活していけるようになるのが目的でこの本を書いたと言っている。そして読者のみんながHOMEに帰ることができますように、と。
“The focus of this book is not on enlightenment as a means to transcendence, but as “enlightened everyday living.” I welcome you into the sacred science, art, and practice of Yoga. May your practice bring you home.”

 

Part 1: Coming Home  の第2章 Motivation: What Brings Us to This Moment?はまた次回!

 

ミニマリズムに影響されて

Netflixで「ミニマリズム」というドキュメンタリーを見た。

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大企業で働いてたくさんお金を稼ぎ、良いモノをたくさん集め、いわゆる世間一般で言う「成功」をしたのに「幸せ」を感じることができなかった JoshuaとRyanという男性2人を中心に「本当に大切なモノは何か」を考えさせらえるドキュメンタリー。

彼ら2人は高収入の仕事を辞め、「ミニマリズム」をpromoteするために小さなバッグひとつに持ち物を入れて全国をツアーする。

どんどんモノが増え、モノに埋もれている今の時代、実際私たちはもっとハッピーになっているのか?モノを買うために、良いライフスタイルをするために本当に大切な経験やコネクションを失ってしまっているのじゃないか?という問いかけをし、考えさせらる。

この2人が全国ツアーをしているときに数名しか彼らのトークを聞きに来てくれなかったとしてもpassionを持って話し、参加者をhugし、正直な笑顔を見せる彼らがとっても素敵に見えた。

モノだけじゃなくて「過度の刺激」が多い今の世の中では “less is more”が必要なプラクティスであり、私はこのドキュメンタリーを見て「陰ヨガは体のミニマリズム」だな、と思った。

ヨガASANAをプラクティスしているときも「過度の刺激」を求めることがある。強いストレッッチの感覚を求めたり、だらだら汗をかくことを求めたり、音楽がないと物足りなかったり。

陰ヨガでは脱力することによってストレッチするから多くの場合筋力を使ったときのような「強い刺激」ではないことが多い。不思議と脱力すればするほどストレッチの刺激感覚が強くなることはあるけれども、逆に脱力すればするほど刺激感覚が弱くなっていくような感覚があるときもある。

ミニマリズムで余計なものを減らしていくのと一緒で陰ヨガでは余計な力を少しずつ減らしていく。だから私はこのドキュメンタリーを見て「陰ヨガは体のミニマリズムだ!」と更に共感した。

今月私はミニマリズムチャレンジを姉と一緒にしている。それは今月毎日ものをどんどん減らしていくこと。6月1日だったら1個、6日だったら6個、今日は12日だから12個、最後の30日は30個、とどんどん減らすものが増えていくのだ。

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12日に減らした12個のモノ

ちょっと前にコンマリに影響されて大分ものを減らしたから「これ以上減らすモノなんてない!」と思ったけど意外とあるものだ。。。

まだ12日目だけど気付いたのは「ギフト」について。人からモノをもらったり、モノをあげたり。本当にその人が必要なものならあげたいけど結局ゴミになったり、「捨てたら悪いな」と思って家の中のごちゃごちゃのひとつになるようなモノだったらあげたりするのは止めたいと思う。

その人が使うならソープやキャンドルなどの消耗品だったり食べるものがいいいのでは?あとはこのミニマリズムのブログに書いてあった通り (ミニマリストブログ)モノの代わりにexperiences (経験)をギフトするのはどうだろうか?コンサートやミュージカルのチケットだったり、一緒にご飯を食べに行ったり、美術館に行ったり、携帯を一切見ずに語る時間を持ったり、などなど。。。

私はこれからは人にマッサージをギフトするようにしようかなぁと思う。いかが?

ヨガ・英語の家庭教師でございます👓

はっきり言って私は小さいときから勉強が嫌いだった。もちろん学校に行って授業を受けてはいたけど家に帰ってから一人で勉強したり宿題を一生懸命した覚えってあまり無い。「いつかは日本に引っ越すんだから!」という脅しのような言葉をいつも両親に言われていたけど、一切危機感無く、せっかく日本語の家庭教師までつけてくれたのに途中で寝たりして全く勉強した覚えが無い。

そんな私が「ヨガ・英語の家庭教師」という名前を自分につけるのは自分でも笑っちゃうんだけど😆 数年前からこのアイデアが頭の中でフツフツと煮始めていてやっと行動に出てみようと思った。

まずこのアイデアが浮かんだ理由は私が住んでいるトーランスというロサンゼルス近郊は日本人が多い。日本から駐在で数年しか住まない人や家族がいれば、半永久的に住んでいる人もいる。日本人が多いからもちろん日本食レストランやマーケット、日本人のお医者さんや学校もあって日本語だけで生活しようと思えばすることができる。

それは決して悪いことじゃないんだけど、せっかく一度しかない今回の人生アメリカに住んでいるなら英語を聞いて話して、アメリカ文化に触れる機会を増やしたほうが人生もっとRICHになるんじゃないかなぁ〜〜〜と私は勝手に思うのだ。

ロサンゼルスはアメリカの中でもヨガメッカだから色んなヨガクラスやヨガイベント、ヨガティーチャーがいる。ヨガポーズを教えるときのヨガ英語は繰り返されることが多いからその「ヨガ英語」を勉強してクラスに行けばどんどん聞き取れるようになって楽しいし、ヨガクラスで出会った人とお話したりすることによって日本人のアメリカ生活が豊かになればいいなぁ〜と思う。(ボーナス効果として違う言語を習うのはボケ防止に最高らしい👍 )

それとはまた別に、「ヨガ」というと「グループヨガクラスを受けにいってヨガポーズをして汗をかいたりストレッチする」というイメージが多いけど、それは「ヨガ」という名前のケーキがあったら一切れか二切れにしか過ぎない。

ヨガのプラクティスを本当に自分の人生の一部にするには自分のユニークな体や自分の人生のニーズや必要性に合わせてCUSTOMIZEし、自分でプラクティスするのが本当に大切だと私は痛感している。自分のINNER TEACHER(自分の内にいる先生)にコネクトするのが大切だからだ。

家で勉強や宿題をしなかった幼い頃の私と一緒で多くの人が自分一人でヨガのプラクティスをすることはない。ヨガマットの上で体を動かすヨガプラクティスであろうと、瞑想や呼吸法だろうと、日常生活での自分観察や行動であろうと、自分でプラクティスするのが最初は難しいかもしれないけど効果的でREWARDINGなのだ。

そこで「ヨガ家庭教師」である私がどのようなプラクティスをすればいいのか一緒に相談しながら勉強し、教え、「ヨガ宿題」を持って帰るようなシステムにしたいと思っている。

そこでこの私の考えている「ヨガ・英語家庭教師」とはどういうものなのか?をデザートを食べてお茶を飲みながら気軽に聞きにくる説明会を6月24日(土曜日)午後3時〜4時までトーランスの我が家で行おうと思っているので少しでも興味がある人は来てください!

参加希望の人は私にE-mail してくれれば (yvee118@gmail.com)住所を教えます。この前ブログの記事に書いた世界一美味しいチーズケーキ作って待ってます❤︎

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DOのあとはUNDO

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私は陰ヨガが大大大大大好き。

すこ〜〜〜〜〜〜〜しずつ体が脱力していくと縮こまっていた体がゆ〜〜〜〜〜っくり引っ張られるような感覚でストレッチされ、その引っ張りに逆らっている体の部分を更にリラックスする練習をすると更に体が伸びて最高に気持ちが良い。

陰ヨガでしか味わえない感覚だ。

力強い犬を2、3匹同時に散歩しているときは腕だけで引っ張らないで体の芯からleashを引っ張るようにしている。そのあと陰ヨガで体の側面を伸ばすような陰ヨガポーズをするといかに体が縮こまったかよく分かる。

そのポーズをじ〜〜〜っと5分くらいホールドすると私にとっての「普通」の体の伸び具合に戻る感じがする。

だから犬の散歩をDOしたあとは陰ヨガで犬の散歩をUNDOする。

DOがたっくさん体に蓄積される前に少しでもUNDOするのがお勧めです。

体側をじっくり伸ばす陰ヨガのバナナポーズ↓

自分好みの味付けで

一人暮らしになってから間違いなくお料理する回数が減った。

ヒロと一緒に住んでいるときは自分がお腹が空いてなくてもご飯を作ったりヒロが食べたいものを作ったりしてた。

今は自分が食べたいときに食べたいものを食べる。。。と相変わらずマイペース道を進みつづけている。

私は食べるのが大大大好きだ。お料理は大大大好きではない。だけど食べるのが好きだからお料理をする。

食べるのが大好きになったのはお母さんの手料理がめちゃくちゃ美味しいからだと私は思う。小さいときからお母さんはいつもいつも美味しいご飯を作ってくれている。お父さんが会社の人を家に連れてきては美味しいご飯を作り、私や姉が友人を家に招待すれば美味しいご飯を作ってくれ、私が久しぶりに日本に帰ると私の大好物を作ってくれる。

高校時代は通学に1時間以上かかったから朝6時半くらいには家を出るのに2階から階段を降りてキッチンに行くと美味しい朝ごはんがいつも並んでてこれを食べるのが楽しみだった。

ご飯はお母さんの愛情表現なんだと思う。だからお母さんの手料理が大大大好きだ。

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未だに私は朝ごはんが大好きで早朝ヨガを教えてから家に帰り、自分のために自分の食べたい朝ごはんを作り食べる時間がとても良い時間だ。

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外食じゃなくて自分で料理をすることの良いポイントは自分の好きなものを多めにしたり、味付けを自分好みにすることができることだと思う。

最近、ヨガASANAのプラクティスも同じだなぁと思う。ヨガポーズを習ったらあとは自分で自分の体やその日の体調やムードに合わせて自分好みの味付けをしてプラクティスをしたり、自分好みのシークエンスにしてプラクティスすると更にYUMMYだと思う。

YOUTUBEに私が「気持ち良い」と思う短いシークエンスをアップしましたので自分好みの味付けにしてプラクティスしてみてください。

 

犬にならえ

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「ヨガをプラクティスするっ!」と思うとなんか気合を入れてちゃんと時間をつくってクラスに行ったり家で素敵なスペースを確保してやらないといけないような気がするかもしれない。。。

でも私個人的には逆にそうやって考えるとなかなかやらなくなり、やらなければやらないほどどんどん遠い存在になってしまうと思うので超短い時間でも一瞬でも私生活に取り入れるだけでもいいと思う。

そうすると不思議と気づいたときには思っていたより長くプラクティスしたり、体がどんどんヨガを欲するようになってクラスに行くようになったり、ということになるのでは。

犬や猫などの動物が起きたて必ずと言っていいくらい気持ちよさそう〜にストレッチするのと同じように、私たちも動物的本能をよく感じていれば起きたてやしばらくじっと同じ姿勢をしていたあとはストレッチしたり体を動かしたくなったりするはず。

その一瞬だけでも体がどういう刺激を受けて自分がどのように反応しているのか、どういう呼吸をしているのか静かに観察しながらストレッチすれば5分だったとしても立派なヨガプラクティスだ!!と。

犬の真似をしてDownward Facing Dog(下向きの犬のポーズ)をプラクティスしてみよう!

押忍!

毎週火曜日の夜近所の空手道場で教えているクラスは日本人だけど長期でアメリカ在住しているシニア女性が主にクラスを受けにくる。

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私はこのクラスを教えるのがすごく楽しい。

おばさまたちが楽しめるように私も楽しく愉快に教え、おしゃべりしながら教えているって感じ。

シニアおばさまたちだからこそ私はゆるやか〜にストレッチだけではなく、ぐっと力を入れる練習もするようにしている。

腹筋を強くするような動きのときは「押忍っ!」と気合を入れるような気持ちで下っ腹に力を入れてみましょう!と言って、おばさまたちが一生懸命動いている様子を見るのはとてもINSPIRING!!

ストレッチと一緒で体の力も少しずつの積み重ねでどんどん強くなる、もしくは強さをキープすることができる。

なので是非気合を入れて力をつける動きをしてみよう!

ポケモンYOガ

私は元ゲーマー。

子供の頃からお姉ちゃんといっつもゲームをしていたし、高校生のときは毎日のように友達と新宿のゲームセンターに行ってテトリスをやっていたし、大学生のときにも徹夜でよくゲームをしていた。

一回なんてアメリカから日本に遊びに行ったとき義理の兄が教えてくれたシェンムーというゲームにはまってしまい、限られた日本での時間なのに三日三晩くらいほぼ寝ずにず〜〜〜〜〜っとシェンムーをしていた。。。

こんな私だからゲームはもう辞めたのだ。始めると止まらなくなるから😅

ゲームと言えば。。。この前犬の散歩で公園に行ったときに携帯を見ながらウロウロさまよい歩いている人がたくさんいて「何が起きてるんだ?」と不思議に思っていたら。。。そう!!ポケモンGOの呪いにかかったゲーマーたちだった。ということがあとで分かった。

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ポケモンGOでは携帯を通して外を見てモンスターたちを捕まえるゲーム。

陰ヨガではいつも外を見ている目を閉じ、自分の内を見ながら知らずに少しずつ蓄積されている体のコリや張りをほぐす努力をし、知らないうちに力を入れている緊張モンスターたちが体のどこに潜んでいるか探しては力を抜く努力をする。

そしてその努力と練習をしたご褒美は自分の体をここからあそこに動くための移動手段としてだけではなく、あれこれをするための道具としてだけではなくて、自分の体は実は常に何かを伝えようとしている生き物だということを実感することができる。と私は思う。

 

 

ヨガポーズはクッキー型じゃない

人間の体はいろいろだ。

背が高かったり低かったり、胴が長かったり短かったり、生まれ持った骨組みによって関節の動きが制限されていたり大きかったり。。。

更には毎日行う動きや姿勢、無意識に繰り返し感じている気持ちや考え方によって筋肉のつきかたや姿勢が変わってくるし、体の左右で多かれ少なかれ違いが必ずある。

なのでヨガのポーズも人によって違いがあって当たり前なのだ。

ヨガポーズはクッキーの型ではないのだ。

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ヨガポーズの「型」に自分の体をぎゅっと無理やり押し込むのではなく、ヨガポーズの効果を感じるために自分のユニークな体をどのように動かしたり使ったり伸ばしたりすればいいのか色々と冒険してみるのが大切だと思う。

「型」にはまらなきゃっ!って思うだけでそのプレッシャーで体が緊張してしまうので、「自分の体に合ったヨガポーズを」と自由に冒険するリラックスした気持ちで是非!!!ヨガをプラクティスしましょう。

ちなみに写真の素晴らしいクッキーはアイシングクッキー作りの天才である私の姉が作ったクッキーです。

 
それでは型にはまらず自由な気持ちで是非今日紹介するポーズRolling Pandaをプラクティスしてみてください。